「気を送る」のをやめたら効いた|顕教と密教の違い

頑張って気を送るほど、なぜか疲れてしまう

気功をやっていると、多くの人が「気を送ろう」としてしまいます。私自身もそうでしたし、生徒さんもそうです。家族を良くしてあげたいと思うほど、無意識に力んでしまう。

でも、正直にお話しします。開業して二〜三年くらいのころ、私は一斉遠隔気功というものを、一人一人の名前をA4用紙に書いて、千里診脈という、相手の気を左手で読む秘伝功の技術を使いながら、右手から気を送っていました。ありがたいと思ってもらえるかもしれませんけれど、やる方としては大変なんですよね。人数が増えて100人規模になってくると、もうできなくなってしまう。

そして、頑張って気を送ると、その日はいいんです。でも自分のほうが、どっと疲れてしまう。「HPが2か3くらいしかないのに」と冗談で言うんですけれど、自分の生命エネルギーを削っている感覚がありました。

この「頑張るほど疲れる」という壁を解いてくれたのが、実は密教の教えでした。今日は、その入り口として、顕教と密教の違いについてお話しします。

「玄関」は、もともと仏教の言葉でした

密教の話に入る前に、一つ。私たちの暮らしには、無意識に仏教が染みついています。

たとえば「玄関」。家に帰って玄関の扉を開ける。この「玄関」がもともと仏教用語だったというのは、ほとんどの方が知らないのに、当たり前に使っていますよね。「玄」という字には、奥深い、真理の深い部分、という意味があります。だから「玄」は、仏の教えの非常に深い部分、そこの入り口なんですよ、ということで「玄関」というんですね。

愛媛で見た、男の子の「このにおいは!」

私が愛媛県に住んでいたころ、夕飯時にコンビニで支払いをして帰ろうとしたら、向かいのマンションの2階の廊下を歩いていた小学生の男の子が、急に走り出したんです。「このにおいは!」って、めちゃくちゃテンションが上がって。お母さんが夕飯を作っていて、換気扇からにおいが流れてきて、もう息子はわかるわけです。カレーか、ハンバーグか、餃子か──それを嗅いで玄関に入っていく。

学校では先生に怒られたり、友達といざこざがあったりする。でも家に帰ったら、心も体も安心してエネルギーを蓄えられる。その入り口が玄関なんですよね。だから、仏の教えという家に帰っていく、その入り口もまた玄関なんだ、と教えられている。

目の前にあるのに気づけない──如来秘密

ただ、こうやって教えてもらわないと、玄関の意味なんてわからないじゃないですか。目の前に仏の教えがあらわれているのに、それに気づけない。これを密教では「如来秘密」といいます。仏様はすでに教えをあらわにしているのに、私たちはそれに出会えていない。だから秘密になっている。別に隠しているわけじゃないんですね。

顕教と密教の違い──頭でわかるか、体でわかるか

さて、本題です。これまでの一般的な仏教は、密教の側から「顕教」と呼ばれます。「顕(あきらか)」、明らかにされた教え、ということですね。禅宗や浄土宗、上座部仏教(テーラワーダ)なども顕教に入ります。教えはすべて経典に書かれていて、隠し事はない、という立場です。

では、顕教と密教は何が違うのか。ひとことで言うと、顕教はどうしても「頭だけ」になりやすいんです。

すごい仏教の知識があって、素晴らしい講義もできる。でも、その教えが体に身についていない。エリートだけが難しい仏教心理学を学んで満足してしまう。これを、むなしい頭でっかちの学び──「虚頭の学」といったりします。

思想は飛べども、生活は歩んでいる

顕教では「我が心がすなわち仏ですよ」と教えます。でも、それを頭で理解したところで、実際の生活が変わるかというと、なかなか実感が湧かない。お坊さんの話を聞いても、さっきの玄関の話を聞いても、「へぇ」で終わってしまう人もいる。

「思想は飛べども、生活は歩んでいる」。頭ではなんとなくわかるけれど、実際問題として生活は変わらない。仏教や学びをやってきた人ほど、この乖離に身に覚えがあるんじゃないでしょうか。この乖離を解決しようと試みたのが、実は密教なんです。

この身このままで──即身成仏

密教になると、「即身成仏」といって、この体がそのまま、このまま煩悩に溢れた凡夫であっても、このまま成仏できるんだよ、という身体性が上がってきます。顕教は頭だけ。密教は頭だけじゃなくて、体もちゃんと成仏できる。「この身このままで幸せだな」──これが即身成仏なんですね。

気功(秘伝功)と密教が、「体」で重なる

ここで「体」というキーワードが出てきますよね。実はここで、私が実践してきた秘伝功と密教が、「身体性」という同じ土俵で重なってくるんです。私が密教に強く興味を持ったのは、この共通点を見つけたからでした。

北斗七星の外気と、ぷるぷる気功

私が習った気功の学校では、北斗七星から気をいただく、と教えます。これを外気、秘伝の気としていただいて、私の体を通して患者さんを癒やす。だから私がやっているんじゃない、外気の力で治していただいているんですよ、ありがたいことなんですよ、と。そうやって「自分の気を使っている」という自我を、なるべく薄くしていくんですね。

その一つが、ぷるぷる気功。正式には「霊子通霊法」といって、「霊=自分と宇宙」「子=エネルギー」、宇宙と自分のエネルギーを通す気功法です。動きがコミカルに揺れるので、張永祥先生が親しみやすく「ぷるぷる気功」と名づけました。これを生徒さんには「百日錬功」といって100日続けてもらいます。

蓋をした宝物──自我という壁

密教の「密」には、もう一つ意味があります。「衆生秘密(衆生の自秘)」。私たちの心そのものに、実は宝のようなものが備わっている。ダイヤモンドのような素晴らしさがあるのに、自我がそれに蓋をしてしまう。「どうせ次も失敗する」「私なんかには理解できない」という思い込みが、フィルターになって、内側の宝物に目を塞いでしまう。

エヴァンゲリオンを見た方にはわかると思うんですけれど、ATフィールドみたいなものですね。自我の壁が、表に1枚、裏に1枚ある。この壁を薄くしていく作業が、実は秘伝功の修行の中に入っていたんだな、と、密教を学んでようやくわかったんです。

即身成仏はどこから来たか──空海と『大日経』

この即身成仏という教えは、空海(774年生まれ)が持ち帰ったものです。空海が生きていた当時の奈良仏教では、「成仏するには永遠を3回繰り返さないと悟れない(三劫成仏)」と言われていた。空海は「そんなにかかるのか、それは違うんじゃないか」と思って、大仏に願掛けをします。すると夢のお告げで「そなたの求める教えは、久米寺の東塔にある」と告げられ、実際に赴いたら本当にあった。それが『大日経』で、そこに「このまま即身に成仏できる」と書かれていたんですね。

当時の日本には、経典が時系列どおりに伝わっていませんでした。インドから中国へ、鳩摩羅什や三蔵法師が翻訳し、中国では老荘思想のフィルターを通した「格義仏教」があり、それが日本へ来る。原始仏典が日本に入ったのは、実は戦前・戦後くらいと、ずっと最近なんです。

「気を送る」のをやめてみる

ここからが、いちばんお伝えしたい実践です。今まで気功をやってきた人も、これから始める人も、「気を送ろう」とするのを、まずやめてみてください。

ありがとう・素晴らしい・最高・幸せ

私はこう変えました。宇宙の気を自分の力で引き取ろう、という感覚を一切やめて、ただ、自分の内側にだけ意識を向けて、「ありがとう、素晴らしい、最高、幸せ」と、自分自身の体に語りかけて癒やす。

なぜこの言葉かというと──いつまでも自分一人で生きてきたんじゃないな、と実感するために「ありがとう」。みんな素晴らしい力を授かっているんだな、で「素晴らしい」。それはすなわち「最高」。そして「今、この身このままで幸せだな」。この四つは、即身成仏を、いちばん簡単な日本語に落としたものなんです。

遠隔気功から、遠隔加持へ

密教では「加持」といいます。「加」は力偏に口。大日如来が、生きとし生けるものを慈悲でもって救おうとする働きかけを受け入れる、自我を取っ払う、というのが加持です。人間の祈祷ではなく、仏さん側の祈りを、こちらが受け取る。

私は、満月と新月の「遠隔気功」を、この「遠隔加持」という名前に変えて、その意識状態で行うようにしました。「送る」のをやめて、内側に意識を向けるのは、正直、勇気がいりました。今まで外に気を出していたのを自分だけに向けるんですから、「相手に送っていない」感じがするんですよね。私もそうでした。

でも、超越的なものを利用していた、というよりは、むしろ、北斗七星や大日如来が、常に母のゆりかごのように、よしよしと抱いてくれていた。それを自分が「いやいや、自分でできる」と言って嫌がって拒否していただけなんだな、と。それを受け入れると、ちゃんと気の力が働くんだ、とわかったんです。

実際に、変わっていったこと

顕教のように頭で理解して終わり、じゃなくて、現実が変わらないと密教とは言えません。でも、実際に変わっていったんです。いくつか事例を(ごく一部ですが)。

「送る」のをやめてから、むしろ自分が元気になりました。自力で1時間も遠隔していたころは疲弊していたのに、加持の意識になると、元気になってくるんですね。

あるヨーロッパの方は、何十年来の肋骨の痛み・炎症があって、遠隔の翌日に発熱されました。「これは好転反応ですよ」とお伝えしたら、実際に好転反応だったようで、翌々日から、何十年来の痛みがなくなった、と。こちらが「本当ですか?」と疑いたくなるくらいでした。

日本の方で、初めて遠隔加持を受けられた方は、ご家族がアトピーで苦しんでいらっしゃった。アトピーは夜中にかゆみで起きてしまって、睡眠不足がまた症状を悪くする。でも遠隔を受けた日は、一度も起きずに、数か月ぶりにぐっすり眠れた、と。娘さんにも効果があり、ご本人の首のアトピーもかなり改善された、と教えてくださいました。

もちろん、一回だけかもしれませんし、一時的かもしれません。それでも、心が変わり、行動が変わり、現実の症状という問題が、その時たしかに軽くなっている。自力で頑張っていたころは、「ちょっと肩こりが楽になりました」くらいの感想で、それでも私はどっと疲れていたんです。この違いは、大きいと感じています。

宇宙そのものが、私の体──物心不二

ぷるぷる気功をやると、ぐっすり眠れるようになる。体に出てくる。ということは、私たちの世界は「物心不二」なんですね。物と心、我が心も、身の回りのものも、本質的には同じもの。心と体を分けるのではなく、一つの体として捉える。密教では、宇宙そのものがもう私の体、という感覚です。大日如来の体の一部が、私たち一人一人の体である、という、家族以上の密接なつながりを説いています。

これは本来、秘伝功にも内包されている教えです。ただ、密教のほうが、加持といって、内側に意識を向けることで、如来秘密が、衆生秘密が、自我が薄くなっていって、実践を通してあらわれてくる。「送る」のをやめて、感謝に、賞賛に、幸福に、しっかりと内側へ向ける。ちょっと勇気がいりますけれど、ぜひ、やってみてください。

もう少し学びたい方へ

この話は、ポッドキャスト『満ちて帰る気功』でお届けしている「気功と密教のつながり PART②」の内容をもとにしています。頑張りすぎた心と体をゆるめ、気を味方にする生き方を、毎回ゆっくりお話ししています。

▼音声で聴きたい方はこちら Spotify『満ちて帰る気功』 https://open.spotify.com/episode/5rGjuNrLX553XntBTH8EoO?si=5U_d7W7eRyeMdO6gzhUYDg

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