頑張れば、強くなれる。
体を鍛えれば、心も強くなる。
若い頃の私は、かなり本気でそう思っていました。
今思えば、単純だったなと思います。けれども、当時の自分にとっては、それが生き方の中心に近いものでした。
弱い自分をどうにかしたい。
人に負けない自分になりたい。
何かを乗り越えられる人間になりたい。
だから私は、小学生の頃から腕立て伏せをしたり、腹筋をしたり、背筋をしたりしていました。
祖母が商店をやっていて、その店の裏で、腕立て100回、腹筋100回、背筋100回のようなことを、子どもながらに黙々とやっていたんです。
もちろん、誰かに命令されたわけではありません。
自分で勝手にやっていました。
今振り返ると、あの頃から私は「頑張る」というものに、かなり強くとらわれていたのだと思います。
頑張れば、何とかなる。
頑張れば、強くなれる。
頑張れば、心の弱さも消える。
そう信じていました。
でも、人生はなかなか単純ではありませんでした。
どれだけ体を鍛えても、ヨガをしても、歌を練習しても、何か外側の技術を身につけても、心の深いところにある虚しさは、なかなか消えてくれませんでした。
そして後に、気功と出会うことで、私はようやく「頑張る」という言葉の意味を、体で考え直すことになります。
父が言っていた「頑張らんでいい」という言葉
私の父は、昔からよくこう言っていました。
「頑張るって、おかしいっちゃない?」
「頑張らんでいいと思うけどね」
九州弁なので、少し柔らかく聞こえるかもしれません。
でも、子どもの頃の私には、この言葉がよくわかりませんでした。
たとえば車の中で何気ない会話をしている時に、私が「頑張らんといかんけんね」と言うと、父はすぐにそう言うんです。
「頑張るって、おかしいっちゃない?」
「頑張らんでいいと思うけどね」
子どもながらに、少し抵抗がありました。
だって、野球でホームランを打ちたいなら、練習しないといけないわけです。
守備がうまくなりたいなら、練習しないといけない。
走るのが速くなりたいなら、練習しないといけない。
自分が頑張らなければ、技術は上達しない。
だから、「頑張らなくていい」と言われても、正直よくわからなかったんです。
でも、その父の言葉だけは、どこか心に残っていました。
頑張るって、おかしいっちゃない?
頑張らんでいいと思うけどね。
その意味が、秘伝功と出会い、ぷるぷる気功を実践していく中で、だんだん違って見えてくるようになりました。
体を鍛えれば心も強くなると信じていた
私はドラゴンボール世代です。
孫悟空のように筋肉モリモリになりたい。
かめはめ波を出したい。
気を出したい。
そんなことを、子どもながらに本気で思っていました。
だから、体を鍛えることが好きでした。
祖母は商店を営んでいてには、おでんがあったり、ポテトチップスやお菓子があったり、週刊少年ジャンプのような雑誌も置いてありました。
その店の裏で、私は腕立て伏せや腹筋をしていました。
何を求めていたのかと言えば、やはり「強い男になりたい」という思いだったのだと思います。
体を鍛えれば、精神も強くなる。
体が強くなれば、心も強くなる。
そう信じていました。
中学生の頃、ヨガはまだ全然おしゃれではなかった
中学2年生くらいの頃には、ヨガにも出会いました。
今でこそヨガは、おしゃれで健康的なイメージがあります。
でも、当時は全然違いました。
少なくとも私の周りでは、ヨガをやっている人なんてほとんどいませんでした。
友達やクラスメートに「ヨガをやっている」と言うと、
「お前、馬鹿なんじゃないか」
「ヨガでマラソン速くなるなら教えてほしいわ」
「お前、またヨガやってんの?」
そんな感じで、結構からかわれました。
それでも私は、馬鹿正直にヨガをやっていました。
高校生の頃には、マラソン大会のためにヨガを取り入れていました。
もちろん走る練習もしましたが、それに加えて、ヨガのアーサナや瞑想もしていました。
当時、ヒクソン・グレイシーが「火の呼吸」と呼ばれるような激しい呼吸法をしていて、アスリート的なヨガを実践していました。
それをテレビで見て、「これをやりたい」と思いました。
私にとってヨガは、精神を鍛えるものでもあり、体を鍛えるものでもありました。
難しいポーズを取る。
呼吸を整える。
心を整える。
そうやって、自分を強くしようとしていました。
この時点でも、私の中にはまだ「頑張れば成果が出る」という感覚が強くありました。
リビングでヨガをしていた時に起きた不思議な体験
中学2年生の夕方のことです。
学校から帰ってきて、私は家のリビングでヨガをしていました。
母親は台所で料理をしていました。
本来なら、瞑想やヨガというと、静かな部屋で一人でこもってやるようなイメージがあるかもしれません。
でも私は、家族の気配がある普通のリビングでやっていました。
アーサナを20分から30分くらい。
呼吸法を15分くらい。
その後に瞑想に入る。
だいたい1時間くらいの実践だったと思います。
その時、不思議な体験が起きました。
体が物理的に浮いたわけではありません。
でも、自分の体から、もう一つの意識としての体のようなものが立ち上がってきた感覚がありました。
その意識の体が、部屋の天井のあたりから、座って瞑想している自分を見ているんです。
後ろを見ることもできる。
台所に行って、母親の様子を見ることもできる。
それが、とてもリアルでした。
ただ、続けているうちに少し怖くなりました。
このまま意識が飛んでいって、自分の体に戻れなくなるのではないか。
そう感じて、
「やっぱり自分の体に戻らなきゃ」
と思って戻りました。
この体験は、人生の中でも一度くらいしかありません。
でも、その経験によって、私は「この物理的な世界だけが本当の世界ではないのかもしれない」と感じるようになりました。
目に見えて触れられる世界とは別に、もっと広い世界があるのではないか。
そこから私は、哲学や宗教、精神世界の本を読むようになっていきました。
図書館に行くと、誰もいない哲学や宗教のコーナーに行くのが好きな男の子でした。
今思えば、少し変わった子どもだったと思います。
失恋で崩れた「体を鍛えれば何でもできる」という信念
その頃の私は、体を鍛え、修行すれば、何か成果が得られると思っていました。
頑張って体を鍛えていれば、何でもできる。
そう信じていました。
でも、その信念が一度、大きく崩れた出来事があります。
高校生の時、初めてお付き合いした人がいました。
といっても、本当にうぶな恋愛です。
学校からの帰り道に少し一緒に帰る。
少し手をつなぐ。
そのくらいのものでした。
でも、たぶん3ヶ月も続かなかったと思います。
私は振られてしまいました。
その時の感覚は、今でも残っています。
体の右半分がなくなっているような感じでした。
当時の私はラグビー部に入っていて、かなり筋トレもしていました。
スクワットも120キロくらいでやっていたと思います。
足も鍛える。
体幹も鍛える。
ベンチプレスで胸も鍛える。
ラグビーでは、自分より体の大きい相手にタックルしたり、トライを決めたりもしていました。
自分では、結構強い方だと思っていました。
でも、失恋一つで、何もやる気が起きなくなったんです。
どれだけ体を鍛えても、心が癒えない。
どれだけ筋肉をつけても、体幹を鍛えても、心の痛みには全然届かない。
体を鍛えれば心も強くなると信じてきたのに、そうではなかった。
その時に、初めて思いました。
もしかしたら、体を鍛えるだけのアプローチでは、この心の弱さはどうにもならないのではないか。
ケイン・コスギに憧れて、役者の専門学校へ行った
高校を卒業した後、私は東京へ出ました。
調布にある日活撮影所の専門学校に入りました。
映画や役者の専門学校です。
理由の一つは、当時ケイン・コスギが好きだったことです。
『ケイン・コスギのかっこいいボディーになりたい』という本を買って、それを読んで体を鍛えていました。
兄からは、かなりいじられていました。
「うちの弟がついに気が狂ってしまった」
「ケイン・コスギのかっこいいボディーになりたいという本を読んで、体を鍛え始めた」
「兄として、弟にどう接していけばいいかわからない」
そんなことを、学校の文集のようなものに書かれていたんです。
半分笑い話のようなものです。
でも、当時の私は本気でした。
アクション俳優になりたい。
かっこいい体になりたい。
そういう思いもありました。
ただ、それだけではありません。
失恋を経験して、私は「人間とは何か」「心とは何か」ということも知りたくなっていました。
なぜか私は、それを演技の世界に求めたんです。
演技とは、自分自身を演じていくことでもある。
体を鍛えるだけではなく、精神的なものをコントロールしていく側面があるのではないか。
そんな思いもあって、役者の学校へ入りました。
でも、その学校も3ヶ月くらいで辞めてしまいました。
また新しい恋人が見つかって、そして失恋して、挫折してしまったんです。
今思うと、非常にもったいないなと思います。
なんでそんなことになったのかと、今でも思います。
でも、人間って、そんなに簡単には変わらないんだと思います。
外側を鍛えても、心は空っぽのままだった
その後、私はフリーターをしていました。
東京でのらりくらりと暮らして、兄のところに居候したりしながら、何もやりたいことがないような感じで過ごしていました。
自分は将来、何をしたいのかわからない。
自分は何の役にも立たない。
自分には価値がない。
そういう感覚が、どんどん心を蝕んでいきました。
体を鍛えても、ヨガをやっても、ヒクソン・グレイシーがやっていたような激しい火の呼吸をしても、一時的にはすっきりします。
難しいポーズを取る。
激しい呼吸をする。
少し体に負荷をかける。
痛みが出る。
そうすると、脳内ではベータエンドルフィンやセロトニンのようなものが出て、一時的には安らぐわけです。
体もすっきりする。
心も晴れやかになる。
でも、それは一時的でした。
過去のことを思い出す。
自己イメージの低さが出てくる。
自己肯定感の低さが出てくる。
そういうものは、どうしても消えませんでした。
歌を歌うことも好きでした。
弾き語りをして、みんなから褒められることもありました。
でも、どこか虚しかった。
上手に歌って、人を感動させることができても、自分の心は空っぽのまま歌っているような気がしたんです。
外付けの技術。
スキル。
体の強さ。
そういうものをがっちり固めても、心の深いところでは虚しさを感じていました。
高校の失恋をきっかけに始まったその感覚は、20代前半、23歳、24歳くらいまで続いていました。
秘伝功との出会いと、ぷるぷる気功への疑い
そんなある日、気功の本と出会いました。
今、私が学び、教えている秘伝功というものがあります。
その秘伝功に出会い、実践を始めました。
そこには、体を微振動させる「ぷるぷる気功」「ぷるぷる体操」というものがありました。
最初は、正直こう思いました。
こんなことで人が変わるのかな。
ただ体をぷるぷる震わせるだけで、本当に何かが変わるのか。
当時は、理由もわかりませんでした。
でも、ぷるぷる気功をやっていくうちに、不思議な感覚が出てきました。
自分の体にこびりついていた、負の呪いの鎖のようなものが、どんどん取れていくような感覚があったんです。
思い詰めて、心を塞ぎ込んでいて、胸が窮屈だった感じが軽くなっていく。
これは、頭で理解したというより、体で感じたことでした。
気功は「頑張る」よりも、いい加減にやるものだった
気功では、とにかくいい加減にやる。
とにかくリラックスする。
この感覚が大切です。
「頑張る」は、「頑なに張る」と書きます。
ぷるぷる気功や、私が習った秘伝功では、とにかく今まで学んだことを手放していく。
頑張るのをやめる。
余計な力を抜いて楽しむ。
それが、頑張らないという意味でした。
ただ、これは頭で理解するものではありませんでした。
体で体感していくものだったんです。
ぷるぷる気功を頑張ると続かない
ぷるぷる体操は、外から見ると激しい動きに見えるかもしれません。
最初は私も、頑張って激しく動こうとしていました。
でも、そうするときつくなる。
膝が痛くなる。
呼吸が苦しくなる。
続けられなくなる。
つまり、ぷるぷる気功は頑張ると続かないんです。
だから、頑張ることができなくなってくる。
この感覚は、私にとってかなり大きな発見でした。
2、30パーセントくらいでいい
ぷるぷる気功は、体を微振動させるだけの単純でシンプルな気功です。
でも、それを頑張ろうとするとできません。
真面目にやるというより、すごく適当に、不真面目にやる。
言い方は悪いかもしれませんが、お酒を浴びるように飲んで、適当にやるような感覚に近い。
自分の力が100パーセントあるとして、それを100パーセント出そうとするのが「頑張る」だとしたら、気功は2、30パーセントくらいでいい。
2、30パーセントくらいの感覚でやると、なぜか心が満たされていくんです。
心というのは本来、赤ちゃんのように素直に身を委ねる感覚に近いのかもしれません。
でも大人になるほど、人は心を操作しようとします。
心を制御しようとします。
もっと前向きにならないといけない。
もっと強くならないといけない。
もっとちゃんとしないといけない。
そうやって心をどうにかしようとするほど、心の余白がなくなっていく。
余白がなくなると、心は身動きが取れなくなります。
逆に頑張れなくなる。
心が自在に動けなくなる。
それをリセットするために、気功があるのだと、私は体感しました。
頑張るのをやめた時、体が勝手に動き出す
心を100パーセント頑張ろうとすると、気功はできません。
ぷるぷる体操の動きもできなくなる。
体も疲れてくる。
呼吸も苦しくなってくる。
そして、ある瞬間に、
「あ、もうやめた」
「頑張るのをやめた」
という感じになります。
すると、不思議なことに、頑張る力を30パーセントくらいにした時、急に体が勝手に動き出すような感覚が出てくるんです。
体がポカポカしてくる。
心も楽になってくる。
身を委ねるような感覚になる。
自分が振動しているというより、体が心地いいから勝手に動く。
気持ちいいから、もっと動こうとする。
自分とは別の働きのようなものが、表に現れてくる感じがあるんです。
本当の意味で頑張るとは、自分の心を100パーセント制御しようとすることではないのかもしれません。
むしろ、その制御を少し抑えることで、心の奥にある働きが裏から表に出てくる。
これが、人間がもともと持っているポテンシャルを上げていく方法なのではないか。
そんなふうに感じました。
ただ、ぷるぷるして、笑って、あくびするだけ
気功の修行の中には、こうしたことが体系的に含まれています。
ただし、頭ではなかなか理解できません。
ただぷるぷるする。
ただ笑う。
あくびをする。
ぷるぷるするだけ。
そんなふうに教わるので、最初は「こんなので本当にいいのかな」と思います。
でも、やっていると、自分の心のポテンシャルがガーンと発揮されるような感覚が出てくる。
リセットされる。
今まで「頑張る」と思っていたものが、実は自分の力を止めていたのかもしれない。
そう感じるようになりました。
気功との出会いによって、頑張るという言葉の意味が変わっていったんです。
昔の自分に言うなら「もっと力を抜けば、うまくいくんだよ」
今、10代後半から20代前半の自分に言うなら、こう言いたいです。
「もっと力を抜けば、うまくいくんだよ」
当時の私は、とにかく頑張ろうとしていました。
体を鍛える。
ヨガをする。
演技を学ぶ。
歌を磨く。
何かを身につける。
何かを足す。
外側を固める。
でも、どこか虚しかった。
今思えば、頑張ることによって、自分のポテンシャルがむしろ制御されていたのだと思います。
心のパワーが抑えられていた。
だから、ずっとどこかに虚しさがあった。
これは、頭で理解するというより、本当に体感的なことです。
うまく言葉にはしにくい。
けれども、力を抜いていくことで、大嫌いになってしまっていた歌が、また大好きなものに戻ってきました。
小学生の高学年くらいにギターを持ち始め、弾き語りをしていた頃は、純粋に「好きだ」という気持ちがありました。
それが大人になるにつれて、なぜか虚しくなっていった。
でも、気功師学校に入ると、ギターを弾く先輩が意外と多かったんです。
教室にギターを持ってきている人もいて、一緒に弾いたり歌ったりしていると、心から楽しめました。
その時にはもう、ぷるぷる気功も実践していて、効果を感じていました。
歌うことが、虚しいものから、また好きなものに戻っていった。
それも、私にとっては大きな変化でした。
気功は、頑張ってきた自分をリセットするもの
体を無理に鍛えなくても、心はちゃんと働いてくれます。
自分が持っているもの以上のポテンシャルを、心は発揮してくれることがある。
私はそう感じています。
人間不信や、自分に価値がないという感覚も、実は頑張ることで強まっていたのだと思います。
自分の力ではどうにもできない、心の中の世界のパワーがある。
それをしっかり引き出すのが、気功の一番の魅力だと思います。
気功というと、特別な技術や不思議な能力をイメージする方もいるかもしれません。
もちろん、そういう側面もあります。
でも私にとって気功は、頑張って固まってしまった心と体をリセットして、自分の中にある働きが自然に表へ出てくるようにするものです。
100パーセントの力でフルに生きようとしなくてもいい。
60点台くらいでいいかな、というくらいの方が、意外と自分の力が自然に発揮されることがあります。
頑張りすぎると、自分が咲き続けられる場所から外へ出てしまう。
もちろん、それで成長することもあると思います。
でも、どこかで無理がくる。
自分が咲き続けられる場所で咲くこと。
それが、周りの人にとっても良いものになるのだと思います。
自分が頑張りすぎて、でしゃばってしまうと、他の人たちの才能が本来発揮されるべき場所に、知らないうちに入り込んでしまうことがあります。
そうすると、相手の良さが生きないこともある。
自分自身が持っている素の素晴らしさ。
親から受け継いだポテンシャル。
そういったものを、無理に飾らず、社会に還元していくこと。
それが本来の人間の生き方として健全であり、社会貢献にもなるのではないかと思います。
頑張ってきた自分をリセットする。
力を抜く。
身を委ねる。
心と体の奥にある働きが、自然に出てくるのを待つ。
そのためのものとして、私は気功を学び、秘伝功を実践してきました。
頑張るほど苦しくなる人がいます。
努力しているのに、なぜか心が満たされない人がいます。
体を鍛えても、スキルを磨いても、どこか虚しさが残る人がいます。
そういう人にとって、気功は単なる健康法ではなく、心と体の力みをほどく一つの道になるかもしれません。
「頑張るって、頑なに張るって書くじゃないですか。」
昔の私は、それがよくわかりませんでした。
でも今は、少しだけわかる気がしています。
頑張ることを否定したいわけではありません。
ただ、頑張ることで自分を固めすぎているなら、少しだけ力を抜いてみる。
2、30パーセントくらいで、ぷるぷるして、笑って、あくびしてみる。
そこから、心と体が勝手に動き出すことがある。
気功との出会いは、私にとって「頑張る」の意味を変えてくれた出来事でした。
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頑張りすぎた心と体をゆるめ、気功、仏教、密教、エネルギーマネジメントの実践を通して、気が自然に味方してくれる生き方をお届けする番組です。
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