気功と聞いて、あなたはどんなものを思い浮かべるでしょうか。
私の周りだと、20代ぐらいの方に「気功ってどういうイメージがある?」と聞くと、そもそも「気功って何ですか?」と聞き返されることが多いですね。40代、50代ぐらいにさしかかってくると、気を出して人を倒すとか、割と武術的な気功をイメージする方が多いです。
年代によってそれぞれだと思うんですけれども、私自身が気功について学び始めようとした時のイメージは、どちらかというと修行のイメージが強かったですね。自分自身のこの能力を開発していくために、鍛えて修行していって、気を練磨していって、能力を身につけていく——そういうイメージでした。
もしあなたが、気功を「気を頑張って出す、感じる」ものだと思っているとしたら。実はそこに、多くの人がつまずく最初の誤解があります。
張式気功師学校の初日に受けた「ゆるゆる」の衝撃
私が最初に入学したのは、張式気功師学校というところで、東京の池袋にあるんですね。
「二度と言わないぞ、家でやってこい」を覚悟していた
そこに通い始めた最初の初日、学校に向かう途中は、いかに先生が厳しくても、厳しい言葉を投げかけられて指導されたとしても、めげずにしっかり頑張っていこう、というふうに思っていたんです。
ところが、その授業の最初に出たときに、まあ衝撃だったんですけれども、すごくいい意味で授業がゆるゆるだったんですね。
教科書もあるのに使わずに話が脱線していったり、師範代の先生が、気功とは全然関係のない日常生活の話だったり、食についての話だったり、意識についての話だったり、宇宙についての話だったりを、世間話みたいな感じで語られるような授業内容だったんです。
「今日、授業早めに終わって、近くのたこ焼き屋さんに一緒に食べに行こうよ」と師範代の先生に言われて、「(こんなにゆるゆるなんだ笑)、いいですよ、もちろん行きましょう!」みたいな感じで言ったんですけど。最初イメージしていたのは、しっかり気功のことを教えて「もう二度と言わないぞ、これ家でやってこい」みたいな、体育会系的な印象だったんですよね。
おそらく皆さんも、そういうイメージを持たれているんじゃないかなと思います。
あえてゆるゆるにしていた理由
結果的には、そのすごくゆるゆるな気功を教わったという感覚が、自分にとってはすごく相性が良かったんですね。私はすごく真面目な性格なので、どうしても無意識に頑張ろうとしてしまう傾向があります。ですから、気功も頑張って修行して能力を身につけていく、というイメージをやっぱり持っていたんですよね。
あとになってわかったのですが、あのゆるゆるな授業は、先生があえてそうしていたそうです。
教科書を使ってかっちりやってしまうと、生徒さんの側が一生懸命頑張ろうとしてしまう。それだと、かえって気を感じられにくい環境になってしまう。なるべく気を感じてもらえる環境になるように、あえてフランクな態度で、話がそれて、教科書通りに進まず、たこ焼きを一緒に食べに行く。そういうことをされていたわけなんですよね。ああ、なるほどなあ、と当時思いました。
多くの人は、気を「頑張って」出そうとしている
私のところに来られる気功の初心者の方もそうですし、昔、愛媛県の松山市で気功教室をリアルで開いて開業した時も、そうでした。
全く縁もゆかりもない、親戚もいない見知らぬ土地にご縁があって引っ越して開業したんですけれども、そこでプルプル気功などを教えていたんですよね。気功を全くやったことがない人もいますし、気を感じたことがないという方もいますし、もちろん昔からずっと伝統的な、中国にある八段錦とか易筋経とか、そういう有名な気功法をやってきた方もいらっしゃいました。
多くの人が、気がなかなか感じられない。気を頑張って感じようとしているんですよね。気を出そうとしているんですよね。これは私自身もそうだったので、すごくわかります。
なぜ気を頑張って出そうとしてしまうのか
なんでそういうふうに思うのか、いろいろ分析しているんですけど、一番はメディアの影響が強いんじゃないかなと思いますね。
昔、テレビのバラエティ番組などでも、気功の先生が人を倒すというパフォーマンスの方が、テレビ的にはやっぱり見栄えがいい。だから、そういう技術を伝えて、気功の教室なり講座なりに参加してもらう、という状況だったんですよね。
ところが興味深いことに、その気で人を倒す技術を教える先生も、番組の冒頭で「これは本来の気功の使い方とは違うので、それを踏まえた上でお伝えします」ということを、ぼそっと言ったりしているんです。武術的な気功をやっている先生も、これは本当の気功じゃない、むしろ誤解されるな、ということを思いながら、矛盾した気持ちできっとパフォーマンスしている。
でも、視聴者の我々からすると、すごいなと思うし、自分もこういう能力を身につけてみたい、というふうに思う。その印象がやっぱり強いから、気を頑張って習得しようとか、出そうとしてしまうんだと思うんですよね。
気功は、技術ではなくチューニングです
では、気を頑張って感じよう、出そう、力む、ということで、なぜうまく気功の能力が習得できなくなってしまうのか。
私はよく、楽器のチューニングで説明しています。ゆるゆるになることでもないし、緊張しすぎることでもなくて、やっぱりバランスの状態が大事なんですね。
楽器のチューニングという例え
弦の楽器、ギターでもバイオリンでもチェロでも何でもいいんですけれども、例えば第6弦のチューニングって、結構狂いやすかったりするじゃないですか。弾いているとだんだんEの音がちょっとフラット気味になってきて、少し音が違うなと感じる。よくライブなんかでも、さだまさしさんとか福山雅治さんとか、チューニングしながらトークするんですよね。
弦が緩んでくると音が外れてくる。本来の音じゃないわけです。440ヘルツでチューニングしている、そのバランスが整った状態が、最も音楽を奏でるのに適しているわけです。
気功で言うと、このバランスが整ったチューニングされた状態の時が、最も気を感じやすい、最も勝手に気が出やすい、人を施術する上で土台となる心身の状態なんですね。
頑張って演奏しようとしてピックでガチャガチャ鳴らす。ロックギタリストが盛り上がってくると、弦が切れるほど大きくピッキングすると、弦を引っ張ってしまう。弦を引っ張るとペグのところの結び目がちょっとほどけて、音が歪んでくる。どんなプロのギタリストでも、チューニングが狂っていたら、どれだけ超絶技巧のスキルがあっても、絶対うまく弾けないですよね。
だから、気功で言うと、力むということはチューニングが狂ってしまう大きな要因なんです。
気を出そうと気張ると、チューニングが狂っちゃって、楽器が弾けなくなるんですよ。
気功は実は、自分自身の体がその楽器になってくるわけですね。ですから、自分自身の楽器のチューニングを常にやりながら気功の練習をする、ということが要るんです。
フェラーリと軽トラックの話
もう1個、車の例えです。
私は一応、車の運転が得意な方だとは思っているんですけれども、F1レーサーに比べると、多分下手な方だと思うんですよね。じゃあF1レーサーと私が、道路交通法違反のない道路で勝負をしましょう、と言った時に、私がフェラーリに乗って、F1レーサーは軽トラックに乗ってください、と。コースはカーブとかない一直線で、とりあえずアクセル踏んでゴール地点まで行けばいい。
そしたら、絶対に私の方が勝ちそうじゃないですか。
この違いって何かというと、要は、すごくちゃんと整備された馬力のある乗り物さえちゃんと準備していれば、ドライバーの技術は結構カバーできる、ということなんです。一方、その軽トラックが後輪1個駆けている、エンジンも古びてきている、そんな状態だったら、どんなF1レーサーの技術をもってしても、素人が運転するフェラーリには一直線のコースではかなわないと思うんですよね。
これが、多くの人が気功を誤解しているところで、皆さん、F1レーサーのように技術さえ身につければ気功できる、と思ってしまっているんですね。
でも、私が張式気功師学校で教わったのは、いや、フェラーリみたいな車を準備しましょう、ということだったんです。それは楽器のチューニングで言えば、しっかりチューニングされた名器の楽器を持ちましょう、ということですね。
そしたら、練習していたらいい音が出るし、モチベーションが上がってくるし、下手なりにも気持ち良さを感じながら、また練習したくなる、という状態が続く。
気功の場合は、自分の体が車であり、楽器になってくるし、技術を身につけるのも自分自身なので、両方いるんです。どれだけスキルを身につけたとしても、この意識のチューニング、メンテナンスというところができていないと、やっぱりうまくいかない。ここがすごく大事なところなんですよね。
「構えただけで、手に気が流れた」日のこと
私自身も、その大切さを、徐々に張式気功師学校に通いながら経験していきました。
最初は、意識してこう緩む、手のひらでこう気を感じるとか、ピンポン玉ぐらいの光の玉をイメージしてコロコロ転がすとか、これだけでも感じられるんですが、最初は感じられなかったんです。イメージしたり、リラックスしたり、呼吸を整えたりすることで、チューニングが整ってくるので感じられるようになってくる。でも、それは意識的にやっているわけですよね。
プルプル気功という微振動する気功法があるんですけど、それで最初に静合天地という構えをするんですね。静かに天地と合わさる、という。天というのは宇宙で、地というのはこの地球の自然の恵み。そういったものと合わさる静かな意識に入って、天地と1つになる、という最初の構えです。
最初、この構えをする時に、「気功が上達してくると手のひらで気をビリビリ感じられるようになるよ」と言われたんですけど、最初の方はなかなか感じられなかったんですね。
でも、実際ずっと続けていって、自分が意識をチューニングできるようになってきたら——何にも意識しなくて、ただ構えだけをした途端、手に気が流れる、という感覚を、気功を習い始めて数カ月もしないうちに、初めて体験したんです。
要は、緩もうとしなくても、頑張ろうとしなくても、何も意識しなくても、心と体がちゃんとチューニングされた状態であれば、どんな構えでも、どんな時でも気がずっと巡っている、流れている、自分を癒やしてくれている。それを感じられるんだと思ったんですね。
その時に、チューニングが大事なんだな、一番重要なことなんだな、ということを理解しました。
なぜ人間の意図は、自然と調和しないのか
腰痛に適したイメージの方法とか、肩こりに適したイメージの方法とか、いろいろ考えたくなりますよね。人を治してあげたいという気持ちがあるから、そう考えるんですけれども。そういう人間の意図した意識というのは、いわゆる自然とはかけ離れた意識なんです。
なんで人間の意図というものが自然との調和を乱すかというと——地球人は、核開発をして、放射能や放射線、放射性物質、そういったものが宇宙に影響したりするという話もあるぐらいですから。そうじゃなくても、我々は自然を破壊していっているわけですよね。それで便利な生活を享受しているわけですけれども、自然とはあまり調和していない。だから、人間の意識って、自然とはあまり調和しないんです。
だから気功師の先生とかは、よく「何も考えない」と言うんです。「無」と教える。それは、意図が入ると調和が狂ってしまうからなんです。
神様になったつもりで考えてみる
日本の神様というのは、ずっと我々のために働いてくださっているわけですね。天皇陛下も毎日お祈りをしてくださっている。国家が安穏になるように、風雨順時になるように。
皆さん、ちょっとおこがましいですけど、神様になったつもりで読んください。
人間の100年生きた時間って、神様にとっては実は一日の一部ぐらい、というふうに言われていたりするんですよね。神様は、人間とは計り知れないぐらい長生きして、体を持たずに意識だけで存在していて、一生懸命働いている。皆さんの願い事を、常日頃頼まれなくても叶えているわけです。
そこに、「受験受かりたいです」とお賽銭箱を投げて、「どうかお願いします」という人間が神社にお参りしに来る。神様のスケールで考えてみたら、神様の一日は、もう何十年も何百年も何千年も働いているわけですね。ところが100年にも満たない人間が、ほんのちょっと願い事をしてくる。神様の時間からすると数秒ぐらいかもしれない。「いや、こっち頑張ってるよ、めちゃくちゃ頑張ってるよ」と思いませんか。
逆に、お願い事をして、願い事が叶わないと「クソ神様だ」みたいに思われるのって、風評被害みたいに感じませんか。
この時点で、もう不調和が起きているわけですよ。人間側のエゴとか、「こうなりたい」「気を出せるようになりたい」という意識が、八百万の神々とうまくコミュニケーションが取れていない。ちぐはぐなんですよ。
雨で中止になったイベントの話
例えば、大事なイベントの日に雨が降って中止になってしまった。その時にどう考えるか。
今回、雨になって中止になったけれども、その分また次回開催するときの準備期間が長くなったわけだから、より改善したものを提供できるじゃないか、というふうに考えることもできる。一方、イベントが中止になっちゃった、とがっかりして終わることもある。そこから、提供しようとしていた内容を改善せずに、次回そのまま届けてしまった。これは成長がないわけです。
どちらが願い事を叶えやすい人間かと考えた時に、やっぱり成長している人間の方が願い事を叶えやすいし、いろんな失敗からも学べる姿勢が身についていける。
神様が例えば雨を降らして、その人の成長を考えたのであれば、その現象に対して学ぼうとした意識を持っている人が、神々とうまくコミュニケーションを取れている、というふうに考えることができるんですね。これが、いわゆるチューニングができている、という状態の1つの例だと思うんです。成長していこう、というのも、1つのチューニングの方法なんですよね。
ところが、起きた出来事や過去の出来事に対してくよくよ悩む、というのは、人間の勝手な妄想で考えているという状態で、天地と和合していなくて、チューニングできていない状態。だから気功をやるときは何にも考えないで、というふうに、気功師の方は言うわけです。
日々新た、マインドフルに生きるということ
私も静合天地という構えをしていた時に、あまり何も考えずに計らいを捨てて、こう手放していく感覚をずっと練習していたんですね。それでチューニングがうまくできていたわけです。
チューニングができてくると、一日一日がすごく楽しく感じられるんです。日々新たですね。猫ちゃんなんかよく、もう常に日々新たで、見たものに対してすごく興味を持つ。マインドフルに生きている典型的な動物だと思うんですけれども。
そうじゃない人間って、「今日も会社9時5時か」とか、「また上司に怒られそうだな」とか、ずっと頭の中でノイズを考えているわけです。それって、今生きていないんですよね。過去の出来事を想起させて、過去に生きているわけです。今現在、生きていない。
そういうチューニングができていない状態が、「今」という状態にマインドフルになると、チューニングできるんです。すると、日々新しい出来事に感動したり、気づきが生まれたり、鳥の鳴き声がすごく心地よく聞こえるようになってきたり、そういう現象が現れてきます。
自分で意識して心臓を動かしていないですよね。自分で意識して呼吸を止めようとしても、苦しくてパーッと呼吸しますよね。それって、呼吸器が、循環器が、あなたを生かそうとしているんです。その力がどこから来ているのか、というのは宗教によって考え方が違うと思うんですけど、そういうのを取っ払ったら、やっぱり宇宙とか自然とかから生かされているわけですよね。
そこに何かしら意図を挟み込むから、自然治癒力が働かなくなってくるし、チューニングが狂ってくる、気が感じられない、ということなんです。
HSP・エンパスで疲れやすい人ほど、コントロールしようとしている
HSPとかエンパスの方であったり、芸術家タイプ、アーティストタイプの人なんかは、生まれながらにして人の気に左右されて、うまくそれをコントロールできない、という問題に差しかかっている人もいると思うんです。
そういう方も、実は「なんとかしよう」「コントロールしよう」「相手の邪気に振り回されないようにしよう」というふうに、心を自分の意図で変えよう、コントロールしようとするから、より過敏になってしまうんです。
私もエンパスの体質で、人混みに行くと疲れやすかったり、初対面の人でも1時間ぐらい話をしたら、ある程度その人の人となりとか、エネルギーの感覚がわかってくるんですけれども。それに振り回されないためには、意識のチューニングを常に自分で自己管理できるように、自分の中にチューナーを持って、こうなったらチューニングが狂っているな、という意識状態を常にモニタリングしながら、日常生活の中でチューニングできるように——気功の秘伝功というものを学んでくると、できるようになってくるんですよね。
そうすると、何もしなくても気が感じられる。私も今、このマイクの前で手のひらをコロコロしていますけど、気を感じようと意識しなくても、コロコロしただけで手にビリビリ気が発する、という状態になってくるんです。
多くの人が気功を誤解している部分というのは、コントロールしようとか、気を出そうとか、人間の意図で気功ができるようになる、と考えているんですけど、そうじゃないんですね。その意図を手放して、チューニングする感覚を身につけると、勝手に気が入ってくる。これが本来の気功なんだよ、ということなんです。
力むと喋れない——YouTubeとポッドキャストで気づいたこと
これは、気功の話だけでなく、いろんな分野で感じることがあると思うんですよね。意図的に力もうとしてもうまくいかない、という経験。
私の場合、YouTubeの動画の撮影を始めた頃なんかは、全く喋れなかったんですよね。少しぎこちなさとか不自然さなんかもあるので、興味ある方は一番古い動画から見ていただくとわかると思うんですけれども、ちょっと変な喋り方のところもあったりします。それで力んでいるんですよね。喋る内容をかっちり決めて喋っているみたいなところがあると、なかなか自分が本当に思っている本音の部分が、力んでいると喋れないものなんです。
だから役者さんってすごいですよね。カメラがあるのに自然な演技ができるわけですから。うまく平静な意識に入っているというか、コツがあるんでしょうね。それも気功と同じようなコツがあって、録画ボタンを押して撮影される中でも、自分のなるべく本音を話せるように、喋りながら緩んでいく、ということを実践していくと、だんだん自分の本音が喋れるようになってきたり、頭が回転して話したいことがいっぱい出てくるような感じになるんですよ。
そうすると、話が止まらない。ポッドキャストも、もう終わらなきゃと思っていると同時に、喋りたいことがいっぱいたくさん出てきているんです。本気で喋ったら、多分二、三時間ぐらい平気で喋れるぐらいになるんですね。
それぐらい、意図して計画性を持つことはもちろん大事かもしれないんですけど、それにとらわれることがダメなんですね。とらわれずに、別に脱線してもいいや、というふうに心を緩ませていくことで、人前で喋れるようになってきたり、本来語りたいことを喋れるようになってきた、という経験が私自身はあります。
だから気功教室なんかでも、何を話すかは決めずに行った方が、「参加してよかったです」という感想をいただくことが多いです。緩んで相手とコミュニケーションを取りながら、参加者の方に何で参加したかを聞きながら、だんだんその相手の望みとか悩んでいる問題とかを察知できるようになってくる。ああ、じゃあこういうことを話した方がいいな、ということが自然と湧いて出てくる。自分じゃないような感覚ですね。
自分じゃない、何か大いなる存在が自分の体に入ってきて、しゃべってくれているような感覚です。
気は、もう味方してくれている
気功はコントロールとか操作するんじゃなくて、気という、この世界観ですね。神様も気でできているし、仏さんも気でできている、と気の思想では考えるんですけど、この宇宙も、私たちの体も、物理的なものも、全て気でできている。
この気が、気を操作しようとするんじゃなくて、気がもう味方してくれているんだ、という感謝の気持ちになって、ありがたいなあ、ということで、常に自分を緩ませていく。そうすると、だんだんと一つ一つの細胞とか脳細胞が働き始めて、本来の自分のポテンシャルが発揮される。
でも、その発揮された力の源をたどっていくと、本来の自分じゃない、という感覚になっていくんですね。
必死さを、一度手放してみませんか
今、あなたは、何かをコントロールしようと必死になってはいませんか。
もしも、もう少し力を抜いても大丈夫なものなんじゃないでしょうか。必死さを捨てて、そこで本当に取り返しのつかない失敗が起きてしまうんでしょうか。起きたとしても、挽回できませんか。もし力を抜いて、必死にコントロールしてきた過去の自分以上にポテンシャルが発揮できるとしたら、どうでしょうか。
今頑張って取り組んでいることとか、人間関係もそうですし、仕事もそうですし、経済的な問題とか、家族との問題とか、自分自身の病気とかもそうですけれども。この必死さというものを、一旦ちょっと手放してみませんか。
本来、我々は支えられているんだ。力むと、うまく宇宙とかが調和しないんだ。
ということを、ぜひ、気を味方にするという考え方を生活の中で取り入れて、目に見えないものを味方にする。そのためには自分をチューニングしていって、緩んでいって、できるだけマインドフルになって、ありのまま起きた現象を嫌がらずに、「もうこれは起きたことなんだ、仕方ないんだ、じゃあ次どうしようか」というふうにマインドフルに生きて、気を味方にして一挙手一投足生きることができる。
そして、感謝という気持ちを持って、この気が皆さんを支えているし、皆さんの周りにいる方をも支えている。だから、その恩返しという意味で、利他的に人を救っていく。そして心と体も、その大いなる力によって支えられて、ありがたいなあ、という気持ちで、結果は委ねていく。結果がどうあろうと、またそこから学べるわけですからね。
ちょっと委ねてみて、結果がどうなろうといいや、と。今の自分自身のまま、ありのままでいってみよう、と。そういうことを日常生活の中で、いろんなあらゆる分野で、ぜひ実践してみてください。
そうすると、面白いことが次々と起きるようになってきます。自分自身を生きているな、自分の本音で生きられているなあ、咲いた場所で自分という花を開いて、花びらを開いて開花させているな、という感覚。そういうものも芽生えてきます。今まで詰まった人間関係が不思議と楽になってきたり、仕事もだんだんアイデアが出てきたり。とにかく、あなた自身が持っているポテンシャルが限界突破されていって、ポテンシャル以上のものが発揮されている。
これが、本当の気功なんだよ、というところです。
🎧 ポッドキャスト『満ちて帰る気功』
頑張りすぎて疲れた心と体の力みをゆるめ、本来の自分へ還っていくための番組です。今日のような話を、私が普段の語り口のまま、毎回お届けしています。まずは気軽に、耳から聴いてみてください。
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