力を抜こうとするほど、体が固まってしまう
瞑想やヨガ、気功で「力を抜いて、リラックスしてください」と言われる。でも、抜こうとすればするほど、かえって体が固まってしまう。……そんな経験、ありませんか。
実はこれ、あなたの力の抜き方が下手だからではないんです。緩めるためのエネルギーが、足りていないんですね。
今日は、「力を抜く」にも実はエネルギーが要る、というお話をします。
「脱力=省エネ」という思い込み
一般的なイメージでは、脱力というのは、エネルギーを使わない省エネ状態です。何もしなければ、体は緩むはず。そう思っている方が多いと思います。
だから緩まないと、「まだ力が入っている」「意識が足りない」と、さらに頑張って力を抜こうとしてしまう。
でも、それで緩まないのには、ちゃんと理由があるんです。
緩めるのにも、エネルギーがいる
ATP=細胞の中で使われるエネルギーの通貨
気、つまり生命エネルギーを生物学までおろしていくと、私はこれをATPだと捉えています。ATPは、アデノシン三リン酸。人間の体の細胞の中で扱われる、エネルギーの通貨のようなものです。食べ物と呼吸から、体の中でつくられています。
ATPというと、「体力がつく」「強くなる」というイメージが強いかもしれません。でも実は、筋肉を緩めるときにも、ATPが使われているんです。
死後硬直が教えてくれること
人が亡くなると、死後硬直で体が硬くなりますね。あれは、ATPが尽きて、筋肉を緩めることができなくなるからです。
逆に言えば、ATPがあるからこそ、私たちは今、筋肉を自在に緩めたり動かしたりできている。
つまり、脱力は省エネではありません。充ちているからこそ、体は緩むんです。
緩まないのは、性格や意識の問題ではない
ですから、緩まないのは、あなたの性格や意識の問題ではありません。
そして、「もっと力を抜こう」と頑張っても、解決はしません。そもそも、緩めるためのエネルギーがつくられていないのですから。
都会の一人暮らしでは緩まなかった体が、実家で緩んだ話
私自身の話をさせてください。
都会で一人暮らしをしていた頃のことです。男性の一人暮らしというのは、かなり食生活も乱れますし、睡眠時間も乱れます。自然に触れる機会も少ない。アルバイトをしていると、そのストレスにも、すごくやられてしまう。
その頃は、瞑想してもなかなか緩まなかったんです。体は緩んでも、なんだか心だけは緊張してしまっている。
ところが、実家に帰ると違いました。規則正しい生活になる。自然豊かな場所で深呼吸ができる。そして、手作りの食事が出てきて、しっかり栄養が取れる。
すると、瞑想しても緩まなかったり、心だけ緊張してしまったりということが、なくなったんです。
緩むための土台=栄養・深呼吸・血流
緩むためにも、まず食事。そして、その栄養をしっかり吸収して、ATPに変換できるように、深呼吸ができる体。歩いたり、血流を良くしたりする。
そういう土台があった上で、ようやく、体を緩ませるために必要十分なエネルギーが生産されていく。
気というのは、生命エネルギーというのは、体のATPエネルギーなわけですから、これをしっかりと管理していく。そうすることで、体が緩めやすくなり、気功の実践や瞑想の実践もやりやすくなるんです。
休んでも疲れが抜けないのは、回復能力の問題
力を抜こうとしても緩まないのは、抜き方が下手だからではありませんでした。緩めるためのエネルギーが、足りていなかったんです。
休んでも疲れが抜けない、という方も同じです。休み方が悪いのではなく、回復能力の高い体が、まだ手に入っていない。回復行為をしても、回復能力が低ければ、エネルギーは生まれてこないんですね。
ですから大事なのは、もっと上手に力を抜こうとすることではありません。回復能力そのものを上げていく取り組みに、目を向けてみてください。




