一人で気功をやってみても、なかなか集中できない。続かない。周りには気をすぐに感じられる人がいるのに、自分はさっぱり……。
「やっぱり気功ってセンスなのかな」。
そう感じたこと、ありませんか?
結論から言います。気功にセンスは、ほとんど関係ありません。そして、一人で続かないのは、あなたの意志が弱いからでもないんです。
理由はシンプルで、気功はもともと、一人で身につけるものではないからです。
今日は、私自身が気功師養成学校で体験したことも交えながら、その理由をお話しします。
「センスがある人」の正体
センスがあるように見える人には、必ず”源泉”がある
世間では、気功は感じられる人、センスのある人のもの、と思われがちです。
でも、センスがあるように見える人をよく見ると、必ず過去に、その”源泉”になる経験があります。
武道やダンス、ヨガなどの身体的な訓練を受けてきた。あるいは、言葉にならない、体で感じる世界に長く触れてきた。
どんな家庭で育ったか、どんなご先祖さまがいるか。これも結局は、後から与えられたものです。
先天的なセンスは、ほぼない
“センス”って、生まれつき持っているもの、というニュアンスがありますよね。でも私は、先天的なセンスというのは、ほぼないと思っています。
センスも、後から作られたものなんです。
先生のいる一人練習と、先生のいない一人練習は別物
どんな課題をやればいいかは、一人では分からない
一人で課題をこなしていく練習は、もちろん大事なことです。
ただ、「どんな課題を、どんな練習でやっていけばいいのか」。これは、一人では分かりません。
気功の先生から「あなたにはこういう課題があるので、このワークを続けてください」と言われたものを、一人で続けていく。これが本来の一人練習です。
師匠を持たずに、自分一人の感覚だけでやっていく独学は、どうしても遠回りになってしまいます。
先生がいる状態で一人で練習するのと、先生がいないまま一人で練習するのとでは、大きな違いがあるんです。
量を増やしても、方向が合っていなければ感覚は育たない
「じゃあ、もっと時間を延ばせばいい」「気合を入れて毎日やればいい」。そう考えがちです。
でも、方向が合っていないまま量を増やしても、感覚は育ちません。続かないのは、その手ごたえのなさが原因なんです。
一人では引き出せなかった体感 ― 私の気功師養成学校での体験
私が気功師養成学校に通っていたころ、気功師の先輩から気を受けたことがあります。
手に触れられていないのに、心臓のあたりがじんわり温かくなる。この体感は、一人ではなかなか引き出せないものです。
みんなで一緒にプルプル気功をやり、場を共有していくうちに、気というものへの確信度が、日に日に高まっていきました。毎週、学校に行くのが本当に楽しみでした。
もし一人でやっていたら、この確信度は高まらなかったと思います。
私の生徒さんにも、毎朝続けている方がいます。その方も「一人だと没入感がなかなか出ない」と話していました。続けている人ほど、そこに気づくんですね。
なぜ、場を共有すると気の感覚がうつるのか
あくびや笑いがうつるのと同じ ― ホメオスタシスの同調
気の感覚が、場を共有すると人から人へうつる。これは、ホメオスタシスの同調作用があるからです。
あくびがうつる。笑いがうつる。それと同じように、体の生体反応も、人から人へうつっていきます。
ミラーニューロンという仕組み
脳科学の世界では、ミラーニューロンというものが見つかっています。相手の神経の発火の状態を、自分の神経も同じように発火させる仕組みです。
ですから、気功施術ができる人の脳と心と体の状態と、場を共有していけば、自然と同調していくわけです。
気の感覚は、頭で理解して身につけるものではないんです。整った人と場を共有することで、体が自然に合わせていく。頭で覚える情報ではなく、体と体のあいだでうつっていくもの。だから、一人では育ちにくいんですね。
大切なのは、センスではなく「どんな場に身を置くか」
もう一度お伝えします。気功にセンスは、ほとんど関係ありません。
センスがあるように見える人にも、必ずその源になった経験があります。
そして、センスがあってもなくても、ヒーラー体質を育てる体系立てたプログラムに入らなければ、遠回りになってしまいます。逆に、センスがないと思っている人でも、体系の中で学べば、センスのある人を超えていくことができます。
もちろん、センスのある人が体系の中でしっかり学べば、ずば抜けた力が開花していくのは間違いありません。
つまり大事なのは、センスではなく、どんな場に身を置くか、なんです。



