遠隔で気を送っても効かない——それは実力不足ではありません
遠隔で、離れた人に気を送ってみたことがある人、いるんじゃないでしょうか。でも、効いているのか、さっぱり手応えがない。本当に届いているのかな、と不安な気持ちになった方もいると思います。そして、やっぱり自分には向いてないのかもな、と自信が揺らいだ経験は、ないでしょうか。
先に、いちばん大事なことをお伝えします。遠隔で気を送って効かない——それは、実力不足でも、才能がないからでも、先天的にヒーラーの素質がないからでも、ないということです。
効かないというのは、「そのやり方をちょっと変えてみましょう」というサインだと思ってください。今、自分がやっているやり方そのものをもう一度見直したり、180度、考え方を変えてみる。そういうアプローチをすると、うまくいくことが多いんですね。
効かないとき、人はもっと「力もう」とする
効かないなあというとき、多くの人はまず、自分の力が足りなかった、不甲斐なかった、と落ち込みます。そして同じやり方のまま、もっと力をつけなきゃ、もっと練功しなきゃ、もっと長い時間やらなきゃ、もっと気合いを入れて送らなきゃ、もっと一心不乱に、命懸けで祈らなきゃ——そういう気持ちになってしまう。これは人間として、とてもまともな反応だと思います。
気は「電気」と同じ——使い方を間違えると逆効果
ですが、気の世界というのは、電気の世界と同じなんですね。電気は、使い方を間違えると感電して死んでしまうこともある。でも上手に使えば、家電製品としてご飯を炊いたり、スープを温めたり、便利に利用できる。
気も全く同じで、我々が勝手に「気の世界ってこうだよな」と思い込んでしまって、逆効果が生じているケースが非常に多い。受講生の方を教えていて、そう感じています。
「直したい」という気持ちが、自我になって邪魔をする
もちろん、ヒーラーとして、目の前の人を直してあげたいという気持ちは、そのまま持っていていい。優しい、綺麗な心ですから、気を巡らせる土台としても必要です。けれども気の世界では、その「直したい」という気持ちが、どうしても自我になってしまって、邪魔になるケースが非常に多いんです。
なぜかというと、気は自分が操作するものじゃないからです。気は支配する対象でも、操作する対象でもない。だから「気をコントロールしよう」ということそのものが、宇宙にとっては自我の働きになってしまう。そこで気の交流が起きない。気の恩恵を受けられなくなってしまうんですね。
自我が前面に出てしまうと、どれだけ練功をやっても、プルプル気功をやっても、遠隔ヒーリングの技術を覚えても、なかなか効果を相手に実感してもらえる確率が、低くなってしまう。本当の原因は能力不足ではなく、「直したい」という自我に自分がとらわれすぎていること。これを外す訓練こそが、本来の気功の練習なんです。
気功は「手に入れる学び」ではなく「手放す学び」
だから気功は、新しい知識やスキルを手に入れようという、学校のような学びではありません。むしろ手放していく。自分の考え方を一旦脇に置く。自我にとらわれず、超越していく。それが必要になってくる。気は、自分の力で押し込むものではなく、気のほうから働いてもらえる自分自身に変容していく——そういうアプローチが、どうしても要るんですね。
私が危篤の方に、必死で気を送っていた頃
これは私自身のケースです。私は気功師学校に行って、気を取り入れて出す練習方法や、秘伝功という技術を伝授されて教わりました。ただ卒業したばかりの頃は、経験も何もない。秘伝功の本質や、自我を超越していくことの重要性を知らないまま開業して気功を教えていたので、どうしても「気を出そう」という無意識の働きが残っていたんですね。
私は、危篤状態の方を依頼されることが多いんです。そういう宿命を負ったヒーラーで、後期高齢者を過ぎて余命が少ないという方を見させていただく。当然、一生懸命がんばります。その方が亡くなるかもしれないという責任をぐっと背負い込んだまま、遠隔で気を送る。送る前に一時間ほど自分で練功して体を整えてから、やる。それでも、なかなか思うように効果が出ない。病態は悪化していくばかりでした。
もちろん、死に向かう生命の法則には抗えません。でも、少しでも楽になってもらう、亡くなる寸前に楽な表情で逝かれる——そういうことは遠隔気功の世界にも、密教のお加持の世界にもあるんです。苦しまずに、穏やかに、本当に眠るように亡くなっていく。それを求めて依頼してこられる方がいる。そこで私はがんばろうとして、なかなかその状態に持っていけなかった。
気を送るのをやめて、慈悲の瞑想に切り替えた
気功師の先輩たちが出しているような効果を、私はあまり出せていないな、というとき。「そうだ、恩恵を受ける自分にならなきゃいけないんだった」と、ついつい忘れていたことを思い出したんです。
だから、気を送ろうというアプローチを、一切やめました。そうではなく、瞑想法を取り入れた。自分自身が本当に心を落ち着かせて楽になっていく瞑想です。気のほうに働いてもらうために、自分の自我をなるべく抑え込む。「直そう」という気持ちすらも手放して、ほうっておく。そういう瞑想状態をやると、その途端に、急に回復されるんですね。
不思議なものですが、施術者本人の自我がフィルターになって、宇宙に反映してしまうんでしょうね。そうすると、エネルギーが滞って通らない、巡らないという状態になる。
慈悲の瞑想のやり方——「生きとし生けるものが幸せでありますように」
具体的なやり方は、とてもシンプルです。「生きとし生けるものが幸せでありますように」という言葉を、心の中で繰り返し繰り返し念じる。誰の幸せか、と特定の誰かを決めなくていい。生きとし生けるもの、すべて、です。この一文だけでいい。時間は、だいたい十分もできれば十分です。
気を送らないようにして、ただ自分自身が慈しみの気持ちになる。周りの看護師さん、主治医の方、介護をされているご家族、その方々に関わる皆さんが幸せでありますように。そして私自身も幸せでありますように。すべての方が幸せであることを願う気持ちで、慈悲の瞑想をやる。
そうすると——もちろん私の遠隔だけでなく、医療スタッフチームのリハビリなどがあっての結果だと思いますが——数週間後には亡くなることを覚悟してくださいと言われた後期高齢者の方が、自立した生活ができるまで回復した、というケースがあったりするんですね。
なお、効かないと感じたときは、「切り替える」というより、気を送るということ自体を、もうやめてしまう。気功の初心者も、そこはもう、気を送るやり方はやらない、というくらいでちょうどいいと思います。
お加持をした夜だけ、病態が戻る
危篤の方が回復するのは、すごく稀なケースです。ほとんどの方は亡くなられます。それでも、遠隔を依頼されたご家族から、「先生が密教式のお加持をやってくれたその日の夜だけは、なぜか病態がすっと戻るんです」「お加持をしなくなると、翌日にはまた悪化する」と言われることがある。ご家族が特別に何かをしたわけでもない。考えられるのは、お願いしたお加持のおかげです、と。ありがたいことに、そういうメールをいただいたこともありました。
高齢の方が亡くなるときは急変します。ご家族は遠くに離れて暮らしていて、なかなか病院に集まれない。そこを少しでも延命できると、ご家族は心の準備ができて、「本当にお願いしてよかった」と言ってくださる。そういう効果もある。不思議な世界ではありますが、これは、気を送ろうとするやり方では起きなかったことなんです。
(※お加持と慈悲の瞑想は、少し立ち位置が違います。慈悲の瞑想は、どちらかというと、まだ自力感が残っている——自分で慈悲の気持ちになる。お加持は、その慈悲の瞑想の功徳を、仏さんが私の代わりに、私の体を通してやってくださっている。それをありがたく受け取る。自分で慈悲の気持ちになることがなかなかできない、という方は、慈悲の瞑想をやってこられた仏様のお膳立てを、ただ受け取る。それがお加持になっていきます。)
気は「操作するもの」ではなく「恩恵が働いてくれる自分になること」
そこから私は、気は操作するのではなく、気の恩恵が働いてくれる自分にいかに成長していくか、そういう瞑想・意識状態にいかに入れるかが、すごく大事なんだ、と経験を通して学んできました。
重要なのは、直そうという気持ちはどうしてもあるけれど、そこからいかにその気持ちを脇に置いて、気を信頼するか。この世界にたたずんでいるエネルギーの恩恵に、いかに感謝する気持ちでいるか。遠隔気功でヒーラーになりたい方にとって、実はその気持ちこそが、気の効果を出すための一番重要なポイントになってくるんです。
遠隔気功で効果を出して、周囲の人を笑顔にする。その”たった一つ”の秘訣は、もっと力むことではなく、「直したい」をゆるめて、気に委ねることなんですね。
自我を超える学びは、仏教にふんだんにある
自我を一旦脇に置く。そのために、秘伝功の体系の中にも教えはありますし、仏教はもう、がっつり自我を超越していく教えですから、それがふんだんに詰まっています。だから気功だけでなく、仏教的な考え方を自分の中に取り入れることで、気功やヒーリングも非常に上達していく。そのことを押さえた上で、秘伝功や仏教を学んでいただくといいかなと思います。
効かない体験は、あなたを止めるものではありません。自我を超えて、次の段階へ進むための合図です。そう思えたら、効かない日も、こわくなくなりますよ。



