決して安くないお金を払って、気功やヒーリングを習った。教材も、動画も、ちゃんと手元にある。
なのに、独りで見ていると、「これで合っているのかな」「私は、ちゃんとできているのかな」が、いつまでも消えない。そのうちに、「――もしかして、自分には向いていないのかもしれない」と思えてくる。
もし、そんな経験があるなら、今日はこの一点をお伝えしたいと思います。
「自分はできていない」と、思い込む必要は、ありません。気功というものが、そもそも、独りで動画を見ているだけでは、完成しないものだからです。気功は、人から人へ伝わり、正しい基準を持った人との、二人三脚の中で、立ち上がっていくものなのです。
独学だと「できている基準」が育たない
形はできても、合っているか分からない
多くの方が、「良い教材さえ手に入れて、独りでしっかり見て練習すれば、上達できるはずだ」と信じています。とても真面目で、正しそうな考えです。けれど、気功に関しては、ここに落とし穴があります。
独りで動画を見て、その通りに手を動かしてみる。たしかに、形はできる。ところが、「今、自分の中で気が動いているのか」「これで合っているのか」――その、正しい基準を、示してくれる人が、そばにいない。
すると、自分の中に、「できている」の物差しが、育たないのです。物差しがないまま、独りで手を動かしているので、うまくいっているのか、いないのか、自分では判断のしようがありません。
判断できないと、人は「向いてない」と思ってしまう
そして人は、判断ができないと、いちばん都合の悪いほうへ、傾いていきます。「きっと、自分には向いていないんだ」と。
でも、聞いてください。あなたは、ちゃんと練習を、しているわけです。だとしたら、成長は、小さくとも、必ずしていっています。あなたは、立派に、行動をしている。だから、「行動力が足りない」という問題でも、ないのです。
「できていない」と、思い込む必要は、どこにもありません。ただ、”できている”を教えてくれる、正しい基準が、まだ、そばになかった。それだけなのです。
私が育った環境と、ある方の話
当たり前にできる人が、そばにいた
どうして、そこまで言えるのか。私自身の話を、少しさせてください。
私が気功を学んでいた場所は、対面と遠隔、両方の施術を、みんなで練習し合う環境でした。すぐ隣に、先輩がいる。その先輩が、当たり前のように、気で人を施術している。そして、施術を受けた側が、「今、ここが温かくなった」「ここが軽くなった」と、体感したことを、当たり前のように、言葉で返してくれる。
しかも、そこには、確かな基準を持った先生がいて、「今のは、できているよ」「そこは、まだこうだよ」と、正しく見てくれる。そういう中で、私は育ちました。だから私にとっては、「気で人を施術できるなんて、当たり前だろう」。それが、常識だったのです。
ここが、大事なところです。私が上達できたのは、特別な才能があったからではありません。そばに、当たり前にできている人がいて、正しい基準で、体感を返してもらえる環境に、いたからなのです。
仲間はいたのに、離れてしまった理由
反対の話も、させてください。先日、ある方の相談を受けました。その方は、決して安くはない講座を、卒業のほんの一歩手前まで、進めていました。
練習の相手が、いなかったわけではありません。仲間を見つけて、お互いに送り合う。その環境は、ちゃんとあったのです。それでも、離れてしまった。理由は、「理論が難しすぎて、自分にできている実感が、どうしても湧かなかった」。
――ここなのです。仲間と、練習はできた。でも、「今のあなたは、ここまでできているよ」と、正しい基準で返してくれる、先生の存在が、なかった。だから、これだけ進めた方でも、「自分には合っていないのかもしれない」というところまで、追い込まれてしまったのです。
気の体感や、その場の臨場感というのは――文字や、動画だけでは、運びきれません。人から、人へ。そして、確かな基準を持った人との、やりとりの中でしか、立ち上がってこないのです。
確かめ合う「仲間」だけでは、足りない
ここまでで、一つ、はっきりすることがあります。「もっと動画を見返そう」「もっと良い教材を、買い足そう」――その方向では、この行き詰まりは、解けません。足りていないのは、情報では、ないのですから。
では、確かめ合える仲間がいれば、いいのか。もちろん、仲間は、大切です。お互いに送り合い、感想を返し合える相手は、独りよりも、ずっといい。
でも、正直に言います。それだけでも、まだ足りないのです。仲間同士だと、二人とも、「これで合っているのかな」のまま、なのですね。
どうしても要るのは、自分の成長の、確かな”基準”になってくれる――先生の存在です。その先生との、二人三脚。伴走。これが、気功の世界には、どうしても、必要になってくるのです。
同行二人(どうぎょうににん)―― 気功は独りでは完成しない
ここで、密教の言葉を、一つ紹介させてください。「同行二人(どうぎょうににん)」。四国のお遍路さんが、背中に書いている、あの言葉です。
一般には、「弘法大師さんが、一緒に歩いてくれている」という意味だと理解されています。けれど、密教の眼目は、もう少し深いところにあります。「修行というのは、そもそも、独りでは成り立たない」。同行二人は、そのことを言っているのです。
気功も、まったく同じなのですね。正しい基準を持った人と、二人で歩む。向き合う二人のあいだに、体感が立ち上がり、そのあいだに、加持が、通っていく。独りで、完成させるものでは、なかったのです。
もう一度、言わせてください。あなたが「できているか分からない」まま、立ち止まっていたのは――あなたが、できていなかったからでは、ありません。まだ、二人三脚の、相手に出会っていなかった。ただ、それだけなのです。
独りの今、できる準備 ―― 自己ヒーリングから
「できていない」と、思い込む必要はない。気功は、正しい基準を持った人との二人三脚の中で、立ち上がっていくもの。独りでは、完成しない。ただ、それだけです。
そう聞くと、「じゃあ、独りの今は、どうすればいいの」と、思われるかもしれません。大事なのは、順番です。
まず、「気功は、独りでは完成しない」――このことを、はっきり、分かっておく。そのうえで、独りの今、自分にできることを、静かに積んでおくのです。
それは、しっかり準備をして、練習を重ねて、まず自分に向けて、自己ヒーリングが、できるようになっていくこと。人を癒すより、ずっと手前。まず、自分の体が、少し軽くなる。目の疲れが、ふっとゆるむ。その、小さな確かさを、独りのあいだに、コツコツ積んでおく。
それが、いつか、確かな基準を持った人と出会って、二人三脚が始まったとき、一気に花ひらくための、いちばん確かな準備になります。
焦らなくて、いいのです。あなたは、独りで完成させなくて、いいのですから。
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気功は、続ければ続けるほど上達していくものです。ポッドキャスト『満ちて帰る気功』では、気功・仏教・密教の視点から、心と体の力みをゆるめ、本来の自分へ還っていく話を、ゆっくりとお届けしています。 「この先生の話を、もう少し聞いてみたい」と思ってくださった方は、ぜひ聴いてみてください。 ▼ポッドキャスト『満ちて帰る気功』(Spotify)




