気功師になって困ったことが幾つかあるので、
紹介してみようかと思います。
夜な夜な体をプルプルしてしまう
一つは、
夜中に一人で薄暗い部屋の中で練功(養生気功)をしてしまうことです。
私が行う気功法は、
張式気功と言って、
北斗七星の力を借りて気功を行っています。
北斗七星の力にいつも助けられているのです。
なんで北斗七星なの?
という話はひとまず脇に置いておきます笑。
その北斗七星と最も繋がれる時間帯が、
23:45〜24:15の間なのです。
なので、
その時間帯に北斗七星の気をもらうために練功します。
自分としては楽しくやれるし、
練功を行うと、
朝の目覚めも爽快ですし、
睡眠の質も桁違いに良くなります。
何よりも、
患者さんを施術する際に必要な要素がふんだんに含まれており、
これをやらずにはいられないので、
毎日夜中に一人でぷるぷる体を振動させてしまうのです。
職業病と言ってもいいかもしれません。
野菜や果物のエネルギーを感じる
二つ目は、
産直売り場などに行くと、
果物や野菜のエネルギーを感じてしまい、
「この玉ねぎからすごいエネルギーを感じる」
と言って買ってしまいます。
実際に自分のエネルギーに波長の合う果物や野菜を触ると、
手がビリビリしたり、
素通りしようとすると野菜や果物の方からエネルギーを発してきます。
「買ってくれ〜!」
という感じでしょうか。
私と共に過ごす妻や、
友人などは慣れてはいますが、
さすがに初対面の方の前ではそのようなことに関する発言は控えています。
でも新鮮な野菜や果物の周りにいると、
なんとなくエネルギー感じませんか?
いつ死んでもいい
三つ目は、
執着がなくなるので、
自分から世の中に執着する必要性が出てくるということです。
今この瞬間瞬間に幸せを感じているので、
もう何も必要ないと思ってしまいます。
いつ死んでもいい、
と思うことも稀ではありません。
死んでしまいたいということとは全く違います。
死にたいという気持ちは、
無力感から来ます。
自分自身の生きがいが失われ、
やる気や気力が無くなった時に、
自分自身の自己評価が下がって死にたくなるのです。
自分の能力が、
人間社会で評価されなければならない、
という思い込みからこのようなことが生じてきます。
自分の能力なんて、
たとえ銀河系ナンバーワンであったとしても、
肉体がなくなってしまえば終わりです。
そうではなく、
その能力でどれだけの愛を与えることができたかが重要です。
歌が下手でも、
魂を込めて歌うその声には、
必ず心打たれる人がいます。
それがあなたの能力です。
どれだけ超絶技巧のピアニストであっても、
愛がこもってなければ機械と変わりません。
あなたの友達と話をするときも、
ただ相槌を打つのではなく、
気持ちを込めて相槌を打つだけで全く違います。
少し話が逸れてしまいましたが、
気功的な物事の捉え方というのは、
物質的なものや目に見えるものだけで判断しないのです。
社会からの評価や他人の評価などちっぽけなものです。
そう考えると、
この世のものに執着がなくなってきます。
頑張って執着しないといけないのです笑。
ですから、
いつ死んでもいいというのは、
死にたいという気持ちとは全く違うということなのです。
むしろ正反対で、
今という瞬間をありありと生きている、
そのような感覚です。
それは充実感があるので、
いつ死んでもいいぐらい満たされているということです。
以上三つ紹介してみましたが、
共通して言えることは、
気功の実践を通して、
自分自身の様々な面に気づくことができた、
世の中の様々な面に気づくことができた、
ということです。
そして、
健康面に関しても良い結果をもたらすわけですから、
気功ほど魅力的なものはありません。
あなたにも是非、
気功の世界を味わっていただきたいです。