生きとしいけるものは必ず死を迎えます。
避けられない事実です。
ですが私たちは、
死というものがいったい何なのかをわかっていません。
死んだ人にしかわかりませんし、
生きている人は無論、
死んだ経験がないのでわからないのです。
死とはいったい何なのでしょうか。
死へ確実に一歩一歩向かっている事はまぎれもない事実です。
生まれた瞬間から死に向かっています。
私たちはわからないものや、
知らないものに恐怖を抱きやすいです。
死もその一つでしょう。
死ぬ事が怖いと思うのもわかる気がします。
人の死に直面した自分を観察してみる
まずはじめに、
自分の死については少し脇に置いておいて、
自分以外の人の死について考えてみたいと思います。
あなたは、
他人の死に直面したことがありますか?
家族やペット、親戚のおじさんやおばさんが亡くなる、
友達や親しかった人が亡くなる、
恩師だった人や先生が亡くなる、
有名人や著名人が亡くなる等、
残された私たちは、
感傷の思いに駆られ、
時に涙を流し、悲しみます。
身近で親しくしていた人であれば尚更その想いは強いでしょう。
「天国へ行った」
「新しい旅立ちへと向かって行った」
などと頭では理解していても、
心が悲しんでいる事に気づきます。
では悲しいとはなんなのでしょうか。
あっさりとした答えかもしれませんが、
それは心の状態に過ぎません。
恐怖も同じです。
恐怖とはなんなのでしょうか。
それも心の状態に過ぎません。
人が亡くなると、
ある心の状態を経験しているだけなのです。
その心の状態を、
「悲しみ」と表現する事もできますし、
お世話になった恩師が亡くなった時ならば「感謝」ということができます。
つまりは、
人の死に対して心が反応しているという事なのです。
なぜ死に対して心が反応しているのか。
少し考えてみれば実は簡単な事です。
それは、
生きているからです。
今自分は生きているんだ、
と実感しているからです。
・悲しみ
・恐怖
・嬉しい
・楽しい
全て生きてる証拠です。
人の死に直面したり、
考えたりする事は、
今自分は生きているんだ、
という事をありありと実感する事です。
あなたは死に向かって力強く生きている
いつかあなたは死にます。
でも今は生きています。
健康であろうと、病気であろうと、
末期がんであろうと、名誉を得ようとも、
大金持ちになろうとも、夢を叶えようとも、
いつかあなたは死にます。
でも今は生きています。
死を考えるということは、
ありありと今を生きているという力強い事実を確認することでもあります。
今ここに、
あなたは生きています。
死がいつ訪れるのかわかりませんが、
今生きているのです。
あなたは今を生きているのです。
あなたが死んでも、
生きるものの世界は続いていくのです。
この当たり前のような事実をもう一度しっかりと実感してみて下さい。
そして、
今を生きるあなたが、
この世界で一体何をしようとしているのでしょうか?